反骨心を育んだブランド設立までの山本耀司
ヨウジヤマモトのルーツは、洋装店を営んでいた実家にあります。 店を経営しているとは言え生活は苦しく、小さい頃から社会の不平等さを噛み締めていたと、多くのインタビューで回想しています。 自らがファッションの道に進むことが決定的となったのは大学時代。成績優秀だった山本耀司は慶応大学に進学します。しかし、大学の友人達は内部進学で、それほど勉強のできない人が多く、しかし小さい頃から慶応育ちの彼らは家柄が良く、暮らしも将来も安定を約束されていました。このことで幼いころから抱えていた不平等感をより強め、社会に出たくないという思いから、モラトリアム期間延長の意味で大学卒業後に文化服装学院に進む決意をします。文化時代には学院創立者の名を冠した遠藤賞を受賞して、副賞で得た航空券と賞金で1年間パリで武者修行。
オートクチュールを学びますが、当時のパリでは、ディオールに在籍していたイヴ・サンローランが自らの既製服ブランドを発表するなど、プレタポルテ創成期に入っていました。せっかく学んだオートクチュールのスキルが全く役に立たないことに気が付き、何者でもない自分と向き合ってひどく絶望したそうです。そして文化服装学院を卒業してから3年後の1972年、株式会社ワイズを設立します。1981年にはパリ・プレタポルテコレクションで、ヨウジヤマモトを発表したのです。
世界のトレンドを変えた、ジャパンのカリスマ
絢爛豪華で華美、そして身体のラインを意識させるタイトなサイジングが隆盛だった当時のパリコレにあって、黒一色で、服と身体の間に空気を纏うようなサイジング、そして非構築的なカッティングの洋服を投入します。この破壊的な試みに業界は震撼。あまりのインパクトに受け入れ難さを滲ませながら「貧乏主義」と一刀両断する声が上がりますが、それを遥かに上回る賞賛を浴びます。現在、世界のファッション界をリードするマルタンマルジェラやドリスヴァンノッテンも衝撃を受け、自分たちをヨウジの申し子と言って憚りません。そんな、ヨウジヤマモトの破壊的且つコンセプチュアルな世界観は、当時のファッション界全体に対しての、
トレンドに惑わされることなく自分流を貫いて良いんだというメッセージとなり、新たな時代の到来を告げることとなりました。
ヨウジの服に込められたコンセプト
ヨウジヤマモトの公式サイトには、FEMME(レディース)のコンセプトを「西洋的服作りへのアンチテーゼであり、アンチテーゼによってモードを制すと、
コレクションで革命を起こして以降、常に評価され続けてきたことに対する自負のようなものが漂うコンセプト」と明記されています。たしかに、山本耀司本人のインタビューなどでは、常に反骨心を持って何かと向き合ってきた姿勢が語られていて、本当に、作っている洋服と言動の一致したデザイナーだと感じさせられます。
一度は袖を通すべきヨウジヤマモト
株式会社ワイズは、2009年に経営破綻の憂き目に会いながらも、投資会社などの支援を受け難を乗り切りました。そして現在は、過去最高益を更新して会社としては絶好調です。今、ヨウジヤマモトには界隈で再評価の機運があり、中古市場でも30年近く前のアイテムから最新のランウェイ着用商品まで価格高騰の様子を示しています。ではなぜ今ヨウジが好調なのでしょうか。トレンドは循環するといいますが、もはやリバイバルは90年代後半まで来ており、トレンドと無縁との触れ込みだった定番アイテムやコーデまでがトレンド化してしまい、ファッションに関する情報は飽和状態が極まっています。そうした回転の速さの中で、トレンドに流されず確かな軸でクリエーションを続けているブランドは数少なく、自分のファッションと真剣に向き合っている人々が、ヨウジヤマモトの際立った軸のブレなさ、真剣な服への向き合い方を求めているのではないでしょうか。自分の服選びに疑問を持つ人、ファッションについてこれから考えを育んで行きたい人、自分の人生を生きるために着る服を選びたい人は、一度はヨウジヤマモトに袖を通してみてはいかがでしょうか。自分なりの答えを導くヒントはヨウジヤマモトかもしれません。
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この記事を書いた人
MODESCAPE
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