ミニマルファッションを牽引したHELMUT LANGの歴史と今後の動きについて
1976年ウィーンで設立されたファッションブランドHELMUT LANG。
当時流行していた華美なファッションの流行を覆し、シンプルでミニマルなスタイルを世に送り出し人気を博しました。
また本人期と呼ばれるヘルムート・ラング本人がデザインしたアイテムは現在でも高い価値を持っており、高値で取引されています。
この記事ではHELMUT LANGの歴史や概要、名作アイテムを紹介すると共に、新デザイナーであるピーター・ドゥの就任でHELMUT LANGがどう変わっていくのかを解説していきます。
HELMUT LANGとは
今でこそ当たり前に耳にする「ミニマリズム」という言葉。
「最小限に洗練された表現で、最大限のパフォーマンスを得る」という考え方は音楽やアートといったカルチャーから始まり、その後ライフスタイルにも大きく影響を与えています。
ファッションの世界におけるミニマリズムはHELMUT LANGが先駆けと言っても過言ではありません。
ブランド概要
1976年、オーストリア・ウィーンで生まれたHELMUT LANG。そのブランド名はデザイナー自身の名前でもあります。 HELMUT LANGの世界観の特徴は無駄が削ぎ落とされたミニマルデザイン。 カジュアルなアイテムでありながらもデコンストラクショビスト(脱構築)なテイストは新鮮で、カルト的な人気を博しました。
カラーに関しては黒・白・グレーといった普遍的な色味を基調とし、一見すると華やかな印象とはかけ離れています。
ですが生地にハイテク素材を取り入れるなど絶妙なバランス感覚、センスによってブランド自体を大きく成長させていきました。
HELMUT LANG設立から10年後の1986年には、多くのデザイナーが憧れるパリコレクションデビュー(レディース)を果たします。
その翌年の1987年にはメンズウェアでもコレクションデビューを成し遂げています。
その後、1997年にはパリからニューヨークへと拠点を移動。それによってコレクション発表はニューヨークコレクションで行われることになりました。
また同年にカジュアルラインである「HELMUT LANG Jeans」を発表。そこからリリースされた「ペインタージーンズ」は多くの人の注目を集めました。
派生したブランドラインは一つだけでなく、1998年に「HELMUT LANG Shirts」。翌年の1999年には「HELMUT LANG Cashmere」が誕生。
着々と世界中から評価を集め、HELMUT LANGは数々の賞を受賞します。
年代 | 賞のタイトル |
---|---|
1996年 | CFDA、最優秀国際デザイナー賞 |
1997年 | VH-1 /ヴォーグ賞 ベストメンズウェアデザイナーオブザイヤー |
1997年 | Bildende Kunst Der Stadt Wien |
1998年 | Pitti imagine Award, Best Designer of theNineties |
1998年 | ニューヨークマガジンベストデザイナーオブザイヤー賞 |
1998年 | ID Magazine、環境デザイン賞、環境デザイン賞 |
1998年 | NYCアメリカ建築家協会:インテリア賞 |
1999年 | ビジネスウィーク/建築記録賞 |
1999年 | アメリカ建築家協会、インテリア建築賞 |
2000年 | CFDAメンズウェアデザイナー・オブ・ジ・イヤー |
ウィーンが生んだ天才ヘルムート・ラング
出典 anothermag.com
創設者兼デザイナーであるヘルムート・ラングの生い立ちを振り返っていきましょう。
1956年3月10日、彼はオーストリア・ウィーンで生まれます。
幼い頃に両親が離婚。親権を持っていた母親が亡くなってしまったため、祖父母に引き取られます。
ザルツブルクというオーストリア山岳地帯の田舎町で彼は幼少期を過ごします。
10歳になる頃に父親のもとへ引き取られ、再びウィーンでの暮らしが始まりました。
その後独学で服作りを学びます。
当初は自分が着る服を自身でデザインして着ていましたが、それが周りの人たちに評価され、次第に友人らへの服作りも担うことになります。
独学であることや服作りを学んでいないことは「ラフ・シモンズ」や「エディ・スリマン」を彷彿とさせます。
独学でもセンスが光るのは彼の生い立ちがそうさせるのでしょうか。
実際に雑誌のインタビューではこう答えています。
「情熱的教育を田舎で受け、それから都会で洗練された知的教育を受ける。バランスよく育てられてラッキーでした」
2000メートルの山々に囲まれるザルツブルクで自由な想像力を育み、音楽の都として知られるウィーンでは職業は違えどアーティストとして洗練されたセンスを突き詰める。
そんな異なる環境で育ったヘルムート・ラングが生んだブランドだからこそ、今日に至るまで世界的に有名なファッションブランドとして偉大なる地位を築けているのだと思います。
プラダグループの傘下に、ヘルムート・ラング退任
デザイナーとして名誉ある賞を次々と受賞した怒涛の90年代でしたが、1999年3月にHELMUT LANG株の51%を買収されプラダグループの傘下に。
2000年代に入ると90年代ほどの勢いは見せませんが、「メンズウェア・デザイナー・オブ・ジ・イヤー」を受賞しています。
2002年にはコレクション発表の場を再びパリに戻すなど、精力的に活動しておりブランド自体はしっかりと評価されていましたが、2004年12月に残り株の49%もプラダに買収され、完全子会社となりました。
ですがヘルムート・ラング自身によるデザインと発表がされており、昔と変わらず彼の独創的なセンスあるウェアがリリースされ続けると思った矢先、2005年にクリエイティブディレクター辞任を発表。
ファンはもちろん、ファッション業界を震撼させた出来事でした。
退任後、彼はビジュアルアーティストとして転身。
ニューヨークで開かれた個展「HELMUT LANG:Scluptures」では「破壊と再生」をテーマに、ゴムや泡状の物質、タール、洋革といった特異な素材を使って制作されたアートが展示されています。
出典 fashionpost.jp
ファッションの世界から身を引いた理由として「クリエイティブなことをするのは好きだが、名声と成功にはあまり興味がない」と語っています。
「ファッションの世界で成功者になると、みんなにもてはやされ、すべての恩恵を受けることができる。そういう世界とは決別したかった。」とも語っており、あれだけの地位や名誉を築いたとしても、自身の信念に沿っていないなら続ける必要はない、と彼の芯の太さが窺えます。
また、過去の雑誌のインタビューからも彼のファッション業界への向き合い方が語られています。
元々ファッションデザイナーになるつもりは全くなかったと語るヘルムート・ラング。
発表された服を手元に残すことはないのか?という質問に対し、
「服をとっておいたことはありません。私にとってそれは無意味だから興味がないのです。」
「私の服が重要かどうかは、誰かが判断してくれるでしょう。」
あくまでも地位や名誉は二の次。自分主体で人生における取捨選択をする、という彼の人間性が垣間見えるインタビューを1992年の時点ではっきりと示しています。
本人期の名作アーカイブアイテム
数々の名誉ある賞を受賞したヘルムート・ラング自身がデザインするアイテムは「本人期」と呼ばれます。
モードテイストでありながらも、どこかアメリカンストリートを感じさせるデザイン。ミニマルでベーシックアイテムもゴムやメタルなど変わった素材を取り入れることで独創的なムードに。
彼ならではのユニークなデザインは「名作」とされ、本人期のアイテムは今でも人気があります。
・ペインターデニム
出典 endyma.com
1998年に発表されたHELMUT LANGの代名詞ともいえる「ペインターデニム」。やや股上が浅く、スリムなシルエットはきれいめにもカジュアルにも着こなすことができます。
全体にペンキを散りばめたデザインはユニークで、日本でももちろんトレンドになりました。またこのデニムをきっかけに、「デザイナーズデニム」というジャンルがファッション業界に生まれました。
・アストロバイカージャケット
出典 dazeddigital.com
こちらも根強い人気を誇るHELMUT LANGの「アストロバイカージャケット」。
立体的な首元が特徴で、無骨なデザインに定評があります。着脱可能なファーも印象的です。
モールスキン素材がミリタリーなテイストを彷彿とさせ、カジュアルに着こなすことができます。本人期の名作ゆえに手に入りにくく、また価格も年々高騰しているアイテムです。
・防弾チョッキ
1997年のFWのコレクションで初登場。それ以来ブランドのアイコンとして人気なアイテムです。グースダウン、ナイロン、ポリウールなどを混紡しておりシンプルでありながらも、ファブリックがより独創的なムードを高めてくれています。
出典 lepetitarchive.com前述したアストロバイカージャケット同様にミリタリーな雰囲気を醸し出す、HELMUT LANGの「防弾チョッキジャケット」。
Theoryの傘下以降の動き
ヘルムート・ラングが辞任した翌年2006年にユニクロなどを展開するファーストリテイリングのグループ会社リンク・セオリー・ホールディングス傘下に。
その年のSS以降は生産を一時休止していましたが、2007年SSに新たなクリエイティブディレクターが就任します。
コロヴォス夫妻
HELMUT LANGの新しいクリエイティブディレクターに就任したのは「マイケル・コロボス」と「ニコル・コロボス」の2人です。
「Habitual」のデザイナーとして2004年にCFDA(全米ファッション協議会)の新人賞を受賞している実力派のデザイナー。
彼らの得意とする「デニムなどの普遍的な素材を細部にこだわり洗練されたクチュール的なものに仕上げる」というデザインセンスがブランドイメージにフィットしていたのが選考の理由です。
就任後はHELMUT LANGの新ラインとして「HELMUT LANG DENIM」を2010年SSに立ち上げます。
新しいシルエットやカッティングを駆使して、従来のデニムの可能性を広げるというコンセプトでユニークなラインナップが発表されました。
そして彼らは約8年間ディレクターを務めます。
滝沢直己
2010〜12年には「滝沢直己」がメンズラインのディレクターとして就任します。
過去に「イッセイミヤケ」のクリエイティブディレクターや「ユニクロ」のデザインディレクターを務めていた人物です。
彼の培ってきたセンスはHELMUT LANGのメンズウェアでもしっかりと反映されており、高級感を失わずにカジュアルさを全面に出したアイテムには定評があります。
イザベラ・バーレイ
2017年、「イザベラ・バーレイ」をディレクターに起用します。
彼女はイギリスのカルチャー&ファッション誌「DAZED」の編集長。
新生HELMUT LANGとしてリブランディングを図ります。
若手デザイナーとのコラボレーションである「HELMUT LANG DESIGN RESIDENCY」。
そしてもう一つ注目を集めたのがHELMUT LANGの過去のアーカイブアイテムを復刻した「HELMUT LANG RE-EDITION」です。
リエディションのキャンペーンでは1994年から続くフォトプロジェクト「Exactrtudes」とコラボ。
参加アーティストの1人に「カニエ・ウェスト」を迎えており、彼は自身の持つアーカイブを身につけて登場しています。
マーク・ハワード・トーマス
「Joseph」のメンズウェアディレクターだった「マーク・ハワード・トーマス」が新クリエイティブディレクターに就任。
2018FWのニューヨークコレクションで彼の携わったメンズウェアが初披露されました。
秀逸な素材使い、ダウンタウンスタイルは好評で評判は上々でした。
彼は2年間クリエイティブディレクターを務めます。
ピーター・ドゥの就任とHELMUT LANGのこれから
2023年5月に「ピーター・ドゥ」が新クリエイティブディレクターに就任されたことが発表されました。 新進気鋭なデザイナーであるピーター・ドゥ。 彼が新クリエイティブディレクターを務めるということで「HELMUT LANGの原点回帰」が期待されています。「PETER DO」の経歴について
出典 anothermag.com
1990年生まれ、ベトナム出身。
アジア系アメリカ人であるピーター・ドゥは幼少期をベトナムで暮らしたのち、14歳の頃アメリカへ移住します。
ニューヨークにある世界的専門学校「ファッション工科大学」を卒業の際、若手ファッションデザイナーの育成・支援を目的とした名誉あるコンペ「LVMHプライズ」を受賞。
その後すぐに彼はパリへ渡り、フィービー・ファイロ率いる「CELINE」のデザインチームに所属することになります。
2年間修行を積んだのち、再びニューヨークへ戻り「DEREK LAM」で一年半働きます。
2018年に彼は自身の名を冠した「PETER DO」を立ち上げ、ブランド初となるコレクションは2019年SSパリで行われました。
ファッション界隈で話題を集める中、2020年には世界2大新人デザイナー賞と呼ばれる「LVMH PRIZE」と「ANDAM FASHION AWARD」にノミネート。
グランプリとまではいかなかったものの、PETER DOは世界からの注目が一気に高まりました。
彼はPETER DOのチームメンバーとの出会いは「Tumblr」や「Instagram」といったSNS経由だったとインタビューで語っています。
「Tumblrで作品をシェアしているうちにフォロワーが増えて、ヴィンセント(ブランドのセールス担当)が目にして連絡をくれたんだ。もし僕が自分のアイデアを温めておくタイプの人だったら、本当に今とは全然違う未来になっていたと思うよ。」
従来の型に囚われない、現代的な考え方だからこそ、若くして世界的有名なデザイナーの仲間入りを果たしたのだと思わざるを得ません。
HELMUT LANG就任のきっかけ
HELMUT LANGのCEOであるディネシュ・タンドンはピーター・ドゥが新クリエイティブディレクター就任の際、声明を述べています。 要約すると、 「ピーター・ドゥの明確で革新的なデザインのアプローチはHELMUT LANGの美学と伝統にマッチしています。彼自身のブランドも評価が高く、クリエイティブディレクターに選ばれるのはごく自然なことだった。」
ピーター・ドゥのデザインするアイテムはヘルムート・ラングが得意とする脱構築的なスタイルのものが多く、デザインに対する根幹が共通していると言えます。
ヘルムート・ラングは1998年SS、ピーター・ドゥは2023年SSのメンズコレクションにて、メッシュタンクトップのアイテムを発表しています。
これはジェンダーの枠に囚われず男女両性の特徴を合わせ持つ表現。いわゆる「アンドロジナス」と呼ばれ、2人が得意とするスタイルです。
共通するのはこれだけでなく、お互いが影響を受けたデザイナーとして「マルタン・マルジェラ 」の名前を挙げています。
またピーター・ドゥの顔は非公開とされており、カメラの前では顔を隠します。
ヘルムート・ラングもデザイナーのセレブ化を嫌っており、自身が表舞台に立ちブランドアイコンとなってもてはやされることに対し、拒否感がありました。
以上のように多くの共通点が2人にはあります。
テーラーリングやシャープなシルエットで表現された、ミニマルなデザインを得意とする感性はもちろん、人間的にミステリアスな雰囲気も相まって、ピーター・ドゥがクリエイティブディレクターに就任するのも頷けます。
HELMUT LANGのこれから
ピーター・ドゥの特徴の1つとして、ブランディングの点においてインスタなどのSNSの使い方が巧みな点があげられます。
制作過程からチームのランチの様子といった日常までをSNSで見せるなど、コレクションの制作過程をSNSで見せることでコレクションにかけている愛情がフォロワーに伝わり、顧客のブランド理解と購買意欲を向上させる手法を取っています。
SNSを駆使したピーター・ドゥのブランディングはまさにこれからのファッション業界を盛り上げていくミレニアル世代代表のデザイナーと言えるでしょう。
ヘルムートラングが退任後、ブランドが買収されてしまったことや、デザイナーが変わってしまったことでHELMUT LANGらしさを失ってしまいましたが、ピーター・ドゥならそれを取り戻せるとファンの間でも期待されています。
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございました。ミニマルなデザインのHELMUT LANGは図らずとも今の時代にとてもフィットしています。またY2Kファッションが昨今のトレンドになっており、2000年前半の本人期のアーカイブアイテムには注目が集まっています。 2023年9月にはピーター・ドゥのデビューとなる2024年SSコレクションも発表されるので、これからのHELMUT LANGも非常に楽しみですね。
また、モードスケープでは、HELMUT LANGのアイテムのお買取りを強化しております。 買い換えのタイミングやサイズの変化によって合わなくなることなどもあるかと思います。そんな時に、モードスケープにご相談していただければ全力でお力になります。 古いモデルやクリーニングやお直しが必要なものでも可能な限り良いお値段をおつけできるように吟味しながらお買取りしております。 汚れやダメージがあるものでも、リペアを施して販売することも可能ですので一度ご相談ください。とりあえず値段だけ聞いて検討したいという場合は、LINE査定などで査定額を見積もることも可能です。お気軽にご相談ください。
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HELMUT LANGの買取について
この記事を書いた人
MODESCAPE
ブランド服専門の買取店モードスケープです。トレンドから過去の名作まで、ワクワクするブランドアイテムを販売・買取しています。ファッションに関する様々な記事・コラムを配信しています。