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COMME des GARCONSのデザイナー川久保玲の生い立ち、偉大なデザイナーになるまで

2023年8月30日

COMME des GARCONSのデザイナー川久保玲の生い立ち、偉大なデザイナーになるまで

日本を代表するファッションデザイナーである川久保玲。
1969年にファッションブランド COMME des GARCONSを立ち上げて以降、ファッション界に偉大な功績を残し続け、齢80を超えた今も第一線で活動しています。
またメディアに登場することが少なく、インタビューもあまり好まないので謎に包まれている部分が多い人物でもあります。
今回はそんなミステリアスな雰囲気に包まれた川久保玲の生い立ち、人物像について詳しく解説していきます。

川久保玲の生い立ち・経歴

川久保玲
出典 tcfm.fju.edu.tw

COMME des GARCONSのデザインは、他のブランドにはない奇抜さや新しさが感じられます。これは、デザイナーである川久保玲の反骨精神が元となっていると言われています。
COMME des GARCONSを深く知るために、まずデザイナーの川久保玲についてチェックしていきます。それでは、川久保玲の生い立ちや経歴について見ていきましょう。

生い立ち

川久保玲は、日本のファッション界を代表するデザイナーとして、世界にその名を轟かせています。彼女の創作背景や感性の源は、その生い立ちに密接に関連しているといえるでしょう。
幼少の頃から、川久保氏は頭の良さと才能を持ち合わせていました。1960年に慶応義塾大学文学部哲学科に入学します。
順風満帆に思える学生自体を送った川久保氏でしたが、家族の中での出来事が、後の彼女のキャリアや人間性に大きな影響を及ぼしています。川久保氏の母親は、長い子育ての時期を終えてから、再び英語教師として職場復帰を強く望んでいました。

しかし、当時の日本はまだ男性中心の社会であり、女性のキャリア再開は一般的ではありませんでした。川久保氏の父親も、その社会的な潮流や価値観を背景に、妻の希望を受け入れることができませんでした。その結果、両親は離婚することとなります。
このような家庭の中で成長した川久保氏は、母親の姿を目の当たりにすることで、男性優位の社会や時代背景に対して強いフラストレーションを感じるようになりました。母親の強い意志と反骨精神は、若き川久保にとって大きな影響を与えていきます。

ファッションとの出会い

慶応義塾大学を卒業した後、川久保氏は株式会社旭化成の宣伝部に就職します。しかし、川久保氏がその職場で過ごしたのはわずか3年間だけでした。
退職後、川久保氏は、フリーのスタイリストとして活動を始めました。

スタイリストとしての仕事は、川久保氏の独自の感性やセンスを活かす場所であったと言えます。広告写真の撮影時に、自分のイメージする服を市場で見つけることができなかった川久保氏は自らの手で服を製作しました。
ファッションデザイナーとしての経験や知識は、当時の川久保氏には全くなかったため、デザインの基礎からパターンメイキング、縫製、そして仕上げまでのすべてを独学で学んでいきました。市場にないものを自らの手で創り出すこの過程は、新しい挑戦であり、同時に独自のファッションの世界を築き上げる大きな第一歩となったのです。


COMME des GARCONSの立ち上げ

川久保玲はCOMME des GARCONSがコレクションデビューをすると、瞬く間にトップブランドへと昇り詰めていきます。それには、当時のファッション業界の流れとCOMME des GARCONSの挑戦的なコレクションが大きく関係します。
ここでは、COMME des GARCONSの立ち上げから輝かしい功績までチェックしていきます。

COMME des GARCONS立ち上げに至るまで

川久保氏はフリーのスタイリストとしての仕事の一環として洋服を製作していましたが、川久保氏の作る衣服はその独特のデザインや感性が評価され、次第にその名が広まり始めます。特定の衣服の注文が入るようになるなど、スタイリスト業務を超えて、評価が高まりました。

1969年、川久保玲氏はついに自らのブランド、COMME des GARCONSを設立します。このブランド名は、フランス語で「少年のように」という意味を持ち、川久保氏の持つ反骨精神や独自の哲学を色濃く反映しています。設立当初から、COMME des GARCONSは既存のファッションの枠組みを超え、新しい価値観やデザインを発表していきました。

鮮烈なデビュー

デストロイコレクション
出典 vinnels.design.blog

1975年、「東京コレクション」がCOMME des GARCONSのコレクションデビューでした。ブランド設立から数年が経過し、すでに国内での注目度は高まっていたCOMME des GARCONSが、この大舞台でどのようなコレクションを発表するのか、多くの期待が寄せられていました。
そして、1981年にCOMME des GARCONSの大きな転機が訪れます。パリでのコレクションデビューでした。パリコレクションでの発表は、世界のファッション業界に衝撃を与えることとなります。

なぜなら、当時のパリのファッションシーンは、華やかで明るい色彩が主流であり、その中でCOMME des GARCONSはタブーとされていた黒を主役にした前衛的なデザインのアイテムを大胆にも発表したからです。
このコレクションには、ヨウジヤマモトも加わり、2人のデザイナーはその独特な世界観で、パリのランウェイを席巻しました。2つのブランドのコレクションは、「黒の衝撃」と称され、新しさと挑戦的なスタイルが賛否両論を巻き起こすこととなりました。

輝かしい功績

1983年、COMME des GARCONSは第一回毎日新聞ファッション大賞を受賞しました。同年、ブランドは海外進出を果たし、ニューヨークに店舗をオープンさせました。
次に、1992年にはフランス芸術文化勲章を受章。これは、ファッション界での彼女の貢献や影響力を称えるもので、日本のデザイナーとしては大きな栄誉です。この勲章は、文化や芸術に対する卓越した貢献をした者に授与されるもので、COMME des GARCONSの名をさらに轟かせました。

さらに、2017年には「Rei Kawakubo/Comme des Garcons Art of the In-Between」展が開催されました。この展覧会は、川久保玲氏のキャリアを振り返るもので、彼女のデザイン哲学やアートの視点が評価されたものです。
なお、生前のデザイナーとしてこのような展示のテーマとなるのは、イブサンローランに次いで2人目ということで、その評価の高さが伺えます。
そして、2019年には、彼女はファッションデザイナーとして初めてイサムノグチ賞を受賞しました。この賞は、デザインやアートの分野で卓越した業績を上げた人物に贈られます。川久保氏の業績や影響力を再確認するものとなりました。

COMME des GARCONS出身のデザイナー

ここでは、COMME des GARCONSから独立した、あるいはその内部で活躍しているデザイナーたちに焦点を当ててみます。
まずは、渡辺淳弥、栗原たお、二宮啓の3人です。これらのデザイナーたちは、それぞれのブランドラインを担当しています。彼らは、COMME des GARCONSの哲学やデザイン思考を受け継ぎつつ、各自の色を出してそれぞれのブランドラインを盛り上げています。この3人は、COMME des GARCONSのDNAを持ちながらも、独自の世界観を表現することに成功しています。
また、丸龍文人は、社内ブランド「GANRYU」のデザイナーとして名を馳せました。丸龍氏のデザインは、COMME des GARCONSの伝統的なスタイルとは一線を画するものであり、多くのファンを魅了しました。しかし、彼はその後、COMME des GARCONSを退社。そして、自らのブランド「FUMITO GANRYU」を設立しました。

そして、COMME des GARCONS出身で成功を収めているデザイナーとしては、他にも大変豪華な面々がいます。sacaiの阿部千登勢は、ミックスされたデザインや素材の選び方で独自の世界観を築き上げており、国内外で高い評価を受けています。
また、kolorの阿部潤一氏も、繊細なディテールと色彩感覚で多くのファンを魅了しています。TOGAの古田泰子氏も、ユニークなデザインと独特な色使いで知られ、ファッション界でその名を轟かせています。


関係人物、ファッション界に与えた多大な影響・名言

川久保玲は多くの有名デザイナーに影響を与えた人物です。現在、ハイブランドのデザイナーを務める人物やファッション界の重鎮となった人物まで、川久保玲を尊敬している人物は数多く存在します。
ここでは、川久保玲がファッション業界に与えた影響を見るために、川久保玲の名言や関係の深い人物についてみていきましょう。

山本耀司

川久保玲と山本耀司
出典 gq.com

川久保玲と山本耀司、二人の名は日本のファッション界を代表する大御所として、多くのファッション愛好者の心に刻まれています。彼らの関係は非常に複雑で深いものがあり、それは彼らの作品にも色濃く影響を与えていると言われています。
まず、川久保玲と山本耀司の間には、かつて恋人であったとの噂が囁かれることもありました。2人が一緒にいる姿が度々メディアに取り上げられましたが、真相は今もって明らかにされていません。

しかし、一つ確かなことは、彼らが良き仕事仲間であり、同時にライバルであったことです。川久保玲のCOMME des GARCONSと山本耀司のY’sやヨウジヤマモトは、1980年代から1990年代の日本のファッションシーンをリードしてきました。
同じ時期にパリコレクションにデビューし、ヨーロッパのファッション界に新しい風をもたらしました。2つのブランドが起こした革命は「黒の衝撃」と呼ばれ、ファッション界で語り継がれています。
川久保玲と山本耀司は、日本のファッション界を代表する二人の巨星として、互いに競い合いながらも深い絆で結ばれていることは間違いありません。

川久保玲が影響を与えたデザイナーたち

川久保玲は、ファッション業界において非凡な才能を持つデザイナーとして、多くのデザイナーやファッショニスタから深く尊敬されています。その中でも、彼女が影響を与えたデザイナーたちの名前は、業界内で非常に高い評価を受けている存在ばかりです。

マルタンマルジェラ
リックオウエンス
カールラガーフェルド
トムブラウン
ドリスヴァンノッテン
ジル・サンダー
ヴェラ・ウォン

例えば、マルタンマルジェラは、川久保玲のアヴァンギャルドなアプローチや独特のテイストに感銘を受けています。ビジネススタイルやメディアに自分の顔をさらさない点など、影響を強く受けていることがわかります。
リックオウエンスもまた、川久保玲の持つ前衛的な感覚や、それを形にする技術力に心酔していることで知られています。オウエンスのダークでグランジなデザインには、川久保玲の影響が見受けられ、彼女の哲学や世界観を受け継ぐ形で、独自のスタイルを確立しています。
カールラガーフェルドは、世界的なファッションデザイナーとして知られています。川久保玲の持つ創造力や独特の美学には常に感心していたと言われ、ベルギーの若手デザイナーに影響を与えたことを評価していると語ったことがあります。
トムブラウンは、雑誌のインタビューで尊敬するデザイナーに川久保玲を挙げています。尊敬している理由について、ビジネススタイルやブランドコンセプトなどを挙げています。
他にも、ドリスヴァンノッテンやジル・サンダー、Vera Wangなどが川久保玲を尊敬していると公言しています。

世界のファッションをも変えた川久保玲

川久保玲の影響力のひとつの頂点として、「黒の衝撃」が挙げられます。当時、黒い衣服は喪服を連想させ、日常の装いとしては敬遠される傾向にありました。
しかし、その中で彼女は、黒を前衛的でありながらも普遍的な美しさを持つ色として捉え直し、深みや複雑さを最大限に活かすデザインを発表しました。その結果、多くの人々が黒い衣服を日常着として受け入れるようになり、黒をベースにしたスタイリングが一般的なものとなったのです。

また、彼女は男性服においても画期的なアプローチを見せています。従来の男性らしいシルエットを捨て去り、新たな男性像を提案しました。よりユニセックスに近い、そして流動的なスタイルです。このアイディアは、性別の境界を超えたファッションの可能性を広げ、多くのデザイナーや消費者に新たな視点を提供しました。

こぶドレス
出典 tenpomap.blogspot.com

さらに、川久保玲は、通称「こぶドレス」と呼ばれるシルエットのドレスを世に送り出しました。これは、従来のドレスのシルエットや構造に固執しない、彼女独自の美学が詰まったアイテムとなっています。このドレスは、異質なシルエットでありながらも、美しいものとして昇華させる川久保の技術と感性の賜物でした。
川久保玲の作品から感じられる新しい価値観や視点は、多くのデザイナーやブランドに刺激を与え、ファッションの進化を加速させる要因となりました。

琴線に触れる名言の数々

ビジネススタイルや生き方にも注目が集まる川久保氏。ここでは世によく知られる川久保氏のファッションに対する名言をまとめています。

“「デザインすることがデザインとは限りません」”
“「ファッションはたった今 この瞬間だけのものでそれを今着たいと思うから ファッションなのです
はかないもの 泡のようなもの
そんな刹那的なものだからこそ
今 とても大切なことを伝えることができるのです」”

“「すぐ着られる簡単な服で 満足している人が増えています
他の人と同じ服を着て そのことに何の疑問も抱かない
服装のことだけではありません
最近の人は強いもの 格好いいもの 新しいものはなくても 今をなんとなく過ごせればいいと
情熱や興奮 怒り 現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている
そんな風潮に危惧を感じます」”

“「何かいつも、新しいこと、強いものをと思っていて、それを続けていないと次が生まれてこないのです。」”

“「COMME des GARCONSの服はいろいろありますけれども やや普通ではないと思います
それを堂々と 何も気にせず着るということ自体が 自由であると思います
そういう意味で 着た人はすでに自分自由になっているのだと思います
その服を選んだ時点で もうすでにその方は自由なのです。」”


まとめ

最後までお読みいただきありがとうございました。
デザインだけではなく、生き方やビジネススタイルが注目される川久保玲という人物について見てきました。人々に新しい価値観を与えるCOMME des GARCONSのこれからも楽しみですね。

モードスケープでは、COMME des GARCONSのアイテムのお買取りを強化しております。
COMME des GARCONSは、一見奇抜なデザインのものが多いこともあり、流行に流されないアイテムが豊富です。名作と呼ばれるアイテムは年式が古くても高額買取されるものがあります。
人気ブランドとのコラボアイテムも評価が高くなることが多いため、ぜひ一度査定を検討してみてください。

モードスケープでは、アイテムの価値を適正に反映し、最高額を見出す査定をいたします。COMME des GARCONSのアイテムを売りに出すか迷っている場合にも、ぜひモードスケープにご相談下さい。
クリーニングやお直しが必要なものでも可能な限り良いお値段をおつけできるように吟味しながらお買取りしております。汚れやダメージがあるものでも、リペアを施して販売することも可能です。
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この記事を書いた人

MODESCAPE

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ブランド服専門の買取店モードスケープです。トレンドから過去の名作まで、ワクワクするブランドアイテムを販売・買取しています。ファッションに関する様々な記事・コラムを配信しています。

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